ハワイ留学生の生活ブログ

ハワイ留学生の生活ブログ。

ハワイへ留学していた女子大学生によるブログ。

不安・焦り・無力感、そして「今」を生きる事。

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私の毎日の鬱々とした感情を説明するには、

もっと複雑な単語が必要だと思ったけれど、

分解していくとこの3語で完結したりする、

「不安と焦りと無力感」

毎朝起きて3秒後に、脳が物凄い速さで動き始める。

それは好スタートというよりむしろ空エンジンに近くて、

考えなくてもいいはずの不安が言葉になって一気に脳内を巡りだす。

 

昼間の元気な状態の時は、何か不安な事が浮かんできたとしても、

「それは今考える事じゃないな」とか「こう対処したら大丈夫」とか、

自分で自分の思考を修正することができる。

 

けれど寝起きは、辛い。

起き掛けで「何かボケろよ!」と言われても、

頭が働かなくて上手い返しが思いつかないのと同じように、

(できる方いたら尊敬です(笑))、

朝は感情ベースの思考が暴走しても、論理でそれを止められない。

結果その「不安」という思考に飲み込まれてしまうこともある。

「焦り」も「無力感」も同じ。

 

よく知り合いには、

一体わたしは何に不安を感じて、何に焦り、

何をもって無力感に苛まれているのか、と不思議がられる。

もちろん人間である以上、誰しもが不安や悩みの種ぐらいあるのは承知の上で、

それでも皆んな、自分なりに踏ん切りをつけて社会を生きている。

そして私もそうやって生きていけそうに見えるらしい。

 

けれど実際のところ、そんなに割り切れた人間じゃなくて、

「普通」になれない自分、と、”普通”である自分

との間で右往左往して、考えても結論が出せないまま毎日鬱々としている。

  

私は「普通」ではない、と思う。

今までの自分の性格や行動だったり、勉強・バイト・恋愛・・・等々の

体験から、自らの視点で分析させていただくと、「普通じゃない」と思う。

もっとかいつまんで言うと、社会に適応できていない。

記憶力があやしいと感じるのは日常茶飯事だし、

バイトでのミスり方は異常を通り越してもはや壮大だし、

人との関わりは安心感を得られるよりも

不安になる事のほうが圧倒的に多いから、

できる限り人付き合いはしたくないと思ってしまう。

大学2年ぐらいまでは何とか溶け込んでいたけれど、

今はその頑張りに疲れてしまった。

 

その一方で、”普通”でしかないとも思う。

「普通」じゃない人の中には、

何らかの突出した才能を持っている、いわゆる「天才」と呼ばれる人達がいる。

だから、「もしかしたら自分にも何かあるのでないか?」

と、わずかばかりの希望を抱いた時期もあった。恥ずかしながら。

けれど実際、今のところ自分自身に秀でた才能のようなものは見当たらなくて、

つまり自分はただの"普通"だと気づいてしまって、

それ自体、悲しいというか残念ではある。

ただそれ以上に苦しいのが、

勉強、運動、料理、音楽そして文章を書く時も、何をしていても、

「お前の能力は"普通"以外の何物でもない、お前より才能のある奴はたくさんいる」

という意識が何かもやっとした感覚とともに常に付きまとってきて、

何に対してのやる気も失くさせること。本当に万事において。

ブログを書く事も楽しいけれど、

「題材を与えられて書くのは正直苦手だし、特に文学に精通しているわけでもなく、

 論理的な展開も感情的な描写もできたわけでも無い自分が、

「文章を書けます」なんて言えたもんじゃないな・・・」と考える。

そしてまた無力感に苛まれる。

 

きっと、大学4年という就職目前のタイミングも相まって、

仕事とか人生とか重く複雑な事柄について考え続けるうちに、

今まで抱いてきたネガティブな自己イメージが表出してしまったんだと思う。

 「お前が本当にやりたいのはそっちじゃないはず」

「いや、やりたい事より向いてる事を選ぶべき」

「でも何が向いてるのか分からない」

「結局人生一度きりだからやりたい事をやったほうがいい!」

「いや、流れのままに生きるのも大事」

「でも楽しくなかったら意味ないよね」

「でも楽しいだけじゃダメ。現実はそう甘くないよ」

「でも・・・」

こうやって自分の可能性を信じられないがゆえに、何も決めきれず、

漠然とした不安と焦りと無力感だけが募っていく。

 

でも、結局人生に正解なんてなくて、

自分が選んだ道の中で幸せを感じられた瞬間、

その選択が正解のように思われるんだよね。きっと。

そして、何年か後に過去の自分を振り返った時には、

「将来の事ばかり考えてないで、もっと楽しんでおけば良かった」って思うんだよね。

きっと。だから究極的には、

”今”を幸せに生きる事が、過去の自分も将来の自分も、幸せにする。

 

よくヨガやマインドフルネスの思想の中で、

「今に集中する。今に意識を置く。」といった言葉がでてくると思います。

それは、「今さえ良ければいい。今の事だけ考えればいい。」

といった短絡的な思考ではなくて、過去の自分を受け入れ、

将来の自分を心配すればこそ、「今」に集中することが大事である、

むしろ「今」に集中することしか私達にできることはない、

という意味が含まれているんだと、私は思っています。

 

もちろん、だからといって不安がゼロになるかといったらそうではなくて、

むしろ不安の理由が仕事、恋愛、人生、病気、生死、など大きくなればなるほど、

その不安からは逃れられないと知り、

その上で自分が自分に何ができるかと考えた時に、

「今」を生きる事しかできないんだ、と、本質的に理解しておくことが、

これから先の人生できっと何度となく悩むであろう自分にとって、

とても重要なんだと思います。

 

そして、今この文章を書いていてもう一つ感じることが、

2年前に同じ文章を書こうとしても、きっと書けなかっただろうということ。

あの時は、不安とは何で一体どこから生まれるのか、

人生とは何で、自分とは何なのか、そんな事を考えもしなかった。

嫌な事があると他人を責めて怒り、自分を責めてはただ泣いて、

問題から目を逸らしていたのかもしれない。

 鬱々と悩んだ毎日のせいで様々なものを失ったけれど、

鬱々と悩んだ毎日のおかげで様々なものを得て、学んだ。

 

結論、問題が根本的に解決されたわけではない。

今でも自分を疑ってしまうし、決断も下せる力量もない。

明日も目が覚めたら不安が待っている、そんな毎日の繰り返しだと思うと、

まるで牢屋に入れられたような気分だな、とさえ感じてしまう。

けれど、そんな毎日が存在する意味はちゃんとあって、

今まで過ごして来た不安な日々も、これから待ち受けている将来も、

全てを包括して人生を捉えるならば、一番大事なのは結局、

「今」を生きる事に他ならない、そう思います。

 

 

 

 

 

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