ハワイ留学生の生活ブログ

ハワイ留学生の生活ブログ。

ハワイへ留学していた女子大学生によるブログ。

恋愛が楽しいと言ったのは誰?~自分を信じさせてくれるものは何か~

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昔は恋愛するのがあんなに楽しかったはずなのに、

気づけば最近は「恋愛って辛いなあ」に変わっていました。

それでも、恋愛を通して少しずつマインドが成長してきていると感じます。

というわけで今回は、

恋愛について考えたことを、つらつらと書いていきたいと思います。

 

 

突然ですが。これを読んでくださっている皆さんは、

恋愛」 といわれて何を感じ、何を考えますか?

 

幸せ、心配、嫉妬、安心、悩み、憧れ、興奮・・・

 

人によって恋愛に抱くイメージは千差万別だと思いますが、

「幸せ」「楽しい」などポジティブなイメージを挙げられる方は、

一体どのぐらいいるのでしょうか。

 

私は昔、恋愛するのが大好きでした。

それは、「何かを追う熱量と手に入れた時の興奮」が好きだったからです。

今思うと、当時の恋愛では相手がただの「対象」として存在していて、

ちゃんと「人」として見ることができていなかったんだなと、

若かったとはいえ自分を恥ずかしく思いますが、

とにかく、その頃の自分は恋愛=楽しい、excitingなものだと思っていました。

きっとそこには、「頑張れば何でもできる」「私はきっと愛される」という、

疑いようのない自信が心の根底にあったんだと思います。

 

人はこういう「疑いようのない自信」を自己肯定感と呼ぶのかもしれません。

そうだとしたら自己肯定感は、恋愛含め、

何かにチャレンジするための大きな原動力であると思います。

でも時に人は傷ついたり、挫折したり、不運に見舞われたりして、

「どんなに頑張ってもできない事がある」「信じているだけでは何も変わらない」と、

自分の価値や可能性を信じられなくなる時があります。

「疑いようのない自信」を失った時、

人は何を信じていきていけばよいのでしょうか。

  

世界の中には、神や来世を信じている人々が一定数います。

私はそういった人々をよく理解しているわけではありませんが、

ただ一ついえるのは、彼らは宗教や信仰を通して、

自分の存在や行動を「信じる事ができる」という事です。

その点で、彼らは強く、「絶対的な自信」を持ちうるといえます。

新興宗教にハマる人がいるのも、彼らが、

「自分を大丈夫だと信じさせてくれて心に平和をもたらしてくれる何か」

を欲しているからかもしれません。 

 

宗教の話を引き合いに出しましたが、私はその話をしたかったわけではなく、

結局人は、「自分を大丈夫だと信じさせてくれて、心に平和をもたらしてくれる何か」

を常に求めていて、現代社会において私たちはその「何か」を、

学歴やステータス、外見の美しさ、などといった社会的に認められる価値、

そして人間関係の中に見出しているのではないでしょうか。

 

子どものうちは簡単ですよね。

周りの大人がいつも自分を信じさせてくれる。安心させてくれる。

先生は「努力は必ず報われる」と言うし、

お爺ちゃんお婆ちゃんは「あなたは世界で一番可愛いね」と言う。

でも大人になるにつれて、現実を知るし、

無条件で安心させてくれる環境も少なくなっていく。

だからこそ、「社会で求められる自分」や「誰かに愛されている自分」でいる事が、

「君は十分だ」「お前には能力がある」「あなたは可愛いよ」と、

昔、お父さんお母さんや周りの大人が言ってくれたように、

自分を信じさせてくれる、安心させてくれる要因になるのではないのでしょうか。

 

もちろん、社会的に認められたり、誰かに愛される幸せや安心感を求めるのは、

ある意味、当然のことであるはず。だって人間だから(笑)

けれど、自分に価値がある → 社会的に認められる ではなく、

    社会的に認められる → 自分に価値がある となってはいないでしょうか。

 

社会的なステータスがあるから自分は幸せだ・・・

愛してくれる人がいるから自分は幸せだ・・・

 

と、自分の価値を証明してくれる何かを、周りに求めてはいないでしょうか。 

 

あなたは今、自分で自分を信じられますか?

自分が全てを失ったとしても、自分には生きる価値があると言えますか?

 

要するに、

自分で自分を信じられないから、相手に自分の価値を証明してもらおうとする恋愛

は、いかに苦しいかという事。

可愛いって信じたい、愛されるって信じたい、価値があるって信じたい、

モテるって信じたい、安心できるって信じたい・・・という思いが、

イケメンの彼氏が欲しい、愛しるよって毎日言ってくれる彼氏が欲しい、

連絡がまめな彼氏が欲しい、お金持ちの彼氏が欲しい・・・という条件を生み出す。

もちろん、こういう条件を持つことは必要不可欠です。

ただ、それはあなたの幸せを満たす条件の一部分にすぎないのであって、

あなたの価値を定義するものではありません。

あなたの存在価値を証明してもらうための恋愛になると、

超ーーーーーーーーーー、不幸せになります。(笑)

 

なぜなら、自分を証明してくれる何かを失いたくないから執着し、

相手が自分の価値を証明してくれないと不安になる。

私も少し前までそうでした。 

自分は十分可愛いと思いたいから、モテたいしイケメンな彼氏が欲しい。

自分の存在価値を信じたいから、「大丈夫だよ」「好きだよ」っていって欲しい。

でも悲しいかな、気づいた事が一つ。

「誰も私の価値を証明してはくれない。」

そう、誰も助けてはくれないんですよね。

いや実際、「そのままで大丈夫だよ!」って言ってくれた人がいました。

けれど、言われた時は心が癒えても根本的な解決にはならなかった。

なぜなら、自分が一番、そのままの自分で大丈夫だと思っていなかったから。

そして、自分が一番、自分でいることに不幸・不満足を感じていたから。

結局、相手から一方的に貰うばかりで、自分はただ不安を巻き散らすような、

そんな依存的な関係は、長続きするわけもなく散々な結果で終わりました。(笑)

 

他人は自分の価値を100%証明することはできません。

だから、自分で自分の価値を信じている必要があります。

逆に言えば、あなたは自分の価値を自分で定義することができます。

社会的なステータスは、確かにあなたの努力や実力を反映しているはずだし、

恋愛関係も、確かにあなたの魅力を証明する理由になり得ます。

しかし、それらがなくとも自分には価値があると信じられた時、

つまり自分で自分を安心させ、幸せにできた時、

真の意味で恋愛が「幸せ」なものになるんだと思います。

 

もう私は、「頑張れば何でもできる」「私はきっと愛される」と、

無条件で思う事はできないと思います。

頑張っても報われない時もあるし、

苦手な事もあれば、できない事もたくさんある。

好きな人に絶対好きになってもらえるわけではないし、

関係がずっと上手くいくとは限らない。

 そういう「不幸せ」を受け入れ、

それでもなお、自分の価値を信じ、可能性を信じる。

だってもう、自分以外に絶対的に自分を信じさせてくれるものなんて無いから。

自分がそう信じなければ、永遠に周りの何かに執着し、依存する。

そして、その何かが手に入らなかった時、失った時、期待に沿わなかった時、

自分の価値を否定されたような気がしてとても苦しくなる。

 

自分が自分を一番信じられていること。

恋愛が自分のマインドや価値に影響を与えていることを感じながらも、

それだけで自分の価値が定義されるわけではないと理解していること。

そして何より、今、この瞬間の自分が、

相手を幸せにできる可能性があると思えること。

こういう恋愛は、必ずしも心が躍るような楽しいものではないかもしれません。

でも、自分のためだけでなく、お互いのために恋愛をし、

お互いが「幸せ」であるために。

こういうマインドでいたい。最近の恋愛を通してふと思った事でした。

 

 

 

 

 

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