「頑張る」ということ~頑張らない頑張り方~
~頑張ることは、必要か。~
私はよく、「自分は今できるだけのことをやれているのか」
「時間を無駄にしているんじゃないか」「もっと頑張れるんじゃないか」
と、自分に何か足りないような気持ちになって頑張って、
結果的に疲れてしまう事があります(笑)
頑張ろうと思うと極端にプレッシャーを感じたり、
常に「何かをやらないといけない」という余裕が無い状態になったり、
まあとにかく頭が疲れてしまうので、
(考えたくないのに考えが止まらない、恋かな?笑)
「もうこの人生、二度と頑張らない」と思ってはいるのですが。
やっぱり。やっぱり。周りが頑張っていると影響を受けるわけで。
特に自分の体調が良いと調子に乗って、
「あれ、これ頑張れるんじゃないか」なんて考え始めて、
頑張って、結局疲れて、頑張ろうとしたことを後悔するわけです(笑)
そもそも、「頑張る」って必要なことなのでしょうか?
確かに、生活を最低限維持するためには頑張らなければいけない。
けれど、それが満たされてもなお頑張る理由とは何なのでしょう。
だって、地球のどこかでは、毎日食べて寝て歌って踊って、
頑張らずに幸せに生きている人もいるんです。
「頑張る」「頑張らない」を明確に区別できるわけではないし、
どちらかを選ばなければいけないわけではないのですが、
なぜ私たちはそもそも、「頑張らなくてもいい」のに「頑張る」のでしょうか。
それは私たちが、「頑張らずにはいられない存在」だからかもしれません。
「○○がやりたい!」「○○を達成したい!」というような気持ちは、
脳が思考の対象や快楽を求めているからなわけで、結局のところ、
脳がそれらを求めるのは本能的であり、身体が健全な証拠だともいえます。
きっと、地球のどこかの頑張っていない人々も、
何かをやりたい、といった思考や感情は持ち合わせているはずで、
しかし、頑張るというカルチャー(あるいは個人の性格)が無いため、
他の欲求として昇華されているのではないでしょうか。
一方、日本のような「頑張る」カルチャーの中にいる人々は、
そのような思考や欲求を「頑張る」に結び付けやすいといえます。
~2つの頑張り方 / 考える自己と実行する自己~
つまるところ、脳が「頑張る」対象を必要としているのです。
では、どう頑張るか。
私は「頑張る」には2つのパターンがあると思っていて、
1つは、ゴールを先に設定し、逆算された行動の遂行を「頑張る」パターン。
もう1つは、結果はどうであれ、それを頑張りたいから「頑張る」パターン。
前者は「目標の達成」に、後者は「行動の動機」に重きを置いています。
(これを読んでいるあなたはどちらのタイプですか???)
受験勉強や部活動などに励んできた私にとっては前者のほうが馴染み深く、
というか、学校で教育を受けた人なら誰しもが、
「計画的に勉強しなさい」「目標に向かってコツコツ努力しなさい」
といったセリフを一度は耳にしたことがあるのではないのでしょうか。
もちろん、前者で目標を達成した瞬間の達成感や、
頑張った過程からくる自信は紛れもないものです。
と同時に、途中で挫折してしまった経験や、
目標を達成した後の虚無感を味わったことがある人も多いはずです。
その理由は、
「目標を立てる時の自分」と「実際に行動する(した)時の自分」が、
別であることに起因しているように思われます。
以前大学でゼミの教授に勧められて読んだ、
「意思決定のマネジメント」という本があったのですが、
その中で、「考える自己」と「実行する自己」
といった概念が紹介されていました。
「考える自己」と「実行する自己」は異なるため、
どちらの側面も考慮して計画を立てなければならない、とのことで、
あんなにワクワクして立てた目標も、いざ行動するとなると全然ワクワクしないのは、
「目標を考える自分」の感情と「行動する自分」の感情が根本的に異なるから。
そして、この「行動する自分」に対しての配慮が欠けていると、
毎日がただタスクをこなすだけの苦しいものになってしまうのです。
(気になる方はどうぞ↓ 経営倫理についての本ですが、
日常的な意思決定への理解を深めることができる面白い本です。)
目標を立てた時の感情をずっと意識していられるタイプの人は(たまに見かけます)、
1つ目のパターン、目標に向かって計画的に頑張ることができるんだと思います。
一方で、「これが好き」「これが食べたい」など、
その瞬間の感情の尺度が大きい人ほど行動するための動機が必要で、
むしろ動機が無ければ、いくら自分の立てた目標に対する行動だとしても、
行動する自分の感情を無視し続けることになり、心身にとってストレスになり得ます。
逆に、行動の動機すなわち、好奇心や楽しさなどがあれば、
頑張ろうとせずとも、そして目標達成が伴わずとも、
自然に頑張りつづけられると思うんです。
「好きこそものの上手なれ」などとも言いますが、
例えば、私は大学で経営学科を専攻しているのですが、
経営が好きで好きでたまらない人と、あまり興味が無い私、
が、同じように成長できるわけがないんです。
だって何かが好きな人は、好きだから勉強したいと思うし、
好きだから続けたいと思う。
そして、彼らには大して頑張っている自覚はない。
一方の私は、何かしらの目標を設定して自分を奮い立たせなければ、
頑張る事ができなかったんです。
行動する自分の感情を無視してまで目標を達成する理由があるのか。
一度しかない人生の時間を割くだけの価値が、本当にあるのか。
とまあ、講義を受けながらこんな事を思っていました。
~頑張らなくても、頑張れる~
結論、私たちは欲深い生き物で、
その欲求の一部分として「頑張る」ことが不可避的に存在する。
「頑張る」というと「目標に対して計画を立てて実行する」方法が一般的だが、
「目標を立てる自己」と「実行する自己」は異なるため、
目標への欲求や快楽ばかりが先行すると、
「実行する自分」との感情のすれ違いが生まれ、
「頑張る」ことがストレスになりうる。
「実行する自分」を考慮に入れてあげれば、
すなわち「行動の動機」「好き/やりたい/楽しい」が見つけられれば、
自然に「頑張る」ことができるのではないか、
頑張らなくても頑張れるのではないか。
もしあなたが、頑張ることに疲れたり、何も頑張りたくないと思っているなら、
目標や結果、計画的なスケジュールは一旦置いておいて、
「行動する自分がワクワクできるかどうか」を基準に、
何かに取り組んでみるのも一つの方法だと思います。
P.S. 自分が一番、「書いた方がいいことを計画的に書く」よりも、
「書きたいことを書く」ほうが合っているなあ、と、
この記事を書いていて改めて感じました(^^;)
長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。